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EM's Kitchenへ

 

私らしく 生きたい …

そのために

 

 

 

短大を卒業後、地元デパートで 秘書になりました。

お客様と触れ合える接客業に興味があり、デパートへ就職したものの、配属された部署が 営業部、 本部長付の秘書でした。

お買い物にくるお客様との接客と言うよりも、会社対会社の接客を学ぶことに。

 

短大時代は英語英文学科に在籍し、英語が好きでした。

実は、航空会社で働きたい!と夢見て それなら英語が出来た方が良いと思い、英文科へ進むも、航空会社からはご縁が無く、とりあえず接客業という事で、デパートへ就職したのです。

当時はまだ腰掛就職気分が抜けずにいました。(厳格な両親の元育てられたので、 女性はそういう生き方しかしてはいけないと思い込んでいました。)

 

ですが、結婚を前提として付き合っていた彼との別れをきっかけに、

やりたい事は今のうち!と思うようになり、密かに胸の内に秘めていた、アメリカへ留学してみたい! と言う意思がメラメラと湧いてきて、デパート就職後たった1年4ヵ月で退職し、単身アメリカ シアトルへ留学しました。 (自分探しの旅が始まります)

 

アメリカに居た時は、人生で一番楽しく、輝いていて、見る物食べる物 全てが 新鮮。がむしゃらに勉強した記憶があります。アメリカ人ボーイフレンドが出来て、ずっとアメリカに留まりたいと思うように。もっともっと勉強して、英語をマスターし アメリカで仕事をしたい!と思うように。

 

ですが、なんと

留学中、NY同時多発テロ事件が起こりました。

当時付き合っていたボーイフレンドは、軍人。

同時多発テロをきっかけに いつ招集されてもおかしくないと、ショックを受けていたり、私自身も何かあったときに、言葉がまだ確実に通じない、身内が一人もいないアメリカに居続けていていいのか、両親の帰ってきなさいの 勧めの元、葛藤の末 1年4ヵ月で帰国することになりました。

ですが、こういった状況の中でも 大学院に進む為 アメリカに残る友人もおり、うらやましいなと思うと同時に、アメリカに残る友人と 私は何が違うんだろう、と悩みました。

 

なんとなく 中途半端な気持ちで帰国して、 とりあえず 働かなくては・・・

と、 なったときに、自分は 何がしたいんだろう?と思うようになりました。

もともと英語を使った仕事をしてみたくて、航空会社へのあこがれはあったものの

帰国後すぐに、タイミングよく 就職の募集が出るわけでもなく、

ニートになってしまったことから、 何もしていない私に両親がいら立っている

自宅にいるのが苦痛でした。

 

もちろん何もしていないわけではなく、就職活動をしていたのだけれども、 やりたいことが分からない迷子だったので、面接に行っても、不採用続き。 何とか 就職したところが、有名ファッションショーなどにも出る、アパレルショップの秘書。 海外とのやり取りもあるから!という事で英語を使った仕事が出来ると期待したものの、実際は 秘書の秘書の アシスタント のような、言ってみればただの雑用係でした。

留学して 英語を身に着けてきて 英語を使った仕事を!と意気込んでいた時に、ただの雑用って、、、

ほとんど英語使用もなく、すぐにやめてしまうことに。

 

 

そんな中、たまたま 見つけた 成田空港での地上職員の応募。

募集人数が たったの8名!

人気のグランドスタッフの募集人数がたったの8人です!もう、受かるわけないと思いながらも、書類を出すと、1次の書類審査が通り、2次の面接へ!

会場へ到着すると、8名の枠に ざっとみても100人以上はいるんです。

え~~~、と周りの人数に圧倒されてしまって、筆記試験、面接試験では何を言ったか、

まともに覚えていないのですが、

 

なんとなんとなんと!!!!

 

 

結果は、

 

 

 

合格!

 

 

 

 

学生時代に夢見た、留学までして 英語を身に着けて!

やっとの思いで 憧れの 制服が着れる事になりました!!!!!!

しかも、勤務地は成田空港!

 

自宅からは通えない距離だったので、会社の寮で暮らすことになりました。

 

親戚のおばさんからは、

執念で勝ち取った 就職ね! と言われるほど!

私も周りの この就職に大いに期待していました。

 

 

ですが、、、、

入社して 間もなく 違和感を覚えることに。。

グランドスタッフは、ほとんどが女性スタッフ。

募集時期が少しずれていた 同期も いて、

同期は結局20名ほど いたのですが、

まるで 女子高のよう。

入社すると、当たり前ですが

自分より若い子が 先輩だったり、

課の雰囲気も女子高みたい。

 

アメリカの自由な風潮に慣れてしまっていたので、

いつでも 何をするのも 女子が固まって 行動することに違和感を覚えていました。

 

覚えることは山ほどありましたが、

業務につかう事なので、苦痛ではなくむしろ楽しんでいました。

仕事内容はとても 楽しく 憧れの世界にやってきたので 不満はなかったのですが、

やはり、体力勝負、周りの人とうまくやる、不規則な勤務体系やストレスなどで

食事が不規則になりがちでした。

 

疲れ果てていたので、 作ることも 食べることもめんどくさくて

板チョコ3枚が ごはん代わりに。

当時のお給料は、実は 初めて就職した デパートよりも

安かったのです。 加えて 一人暮らし。

お金もなく、とにかく すぐにお腹にたまる甘くて美味しい チョコレートばかり食べていました。

その チョコレートは、実はたたのお砂糖と油の固まりだったなんてことは知らずに、食べまくっていました。

 

 

すると、、、どうでしょう。

 

私の身体にある 変化が。。。

そう! 最初は 痩せていきました。

もともと、アメリカ留学で8キロほど太って帰国したので、

わ~ 元の体重に戻った~!と単純に喜びました!

徐々に痩せていき

なんと 1年で 制服のサイズが2サイズダウン!

 

そのころから、食べないと痩せるんだ~と単純に思い、

お金もないから、食べないでいいや、と食がおろそかに。。

 

次のわたしの身体の変化は、熱でした。

 

風邪をひいたかな、から始まって

謎の高熱が 出続けました。

 

不思議なことに、鼻水やくしゃみ、などの症状が無いので

ウィルス性の風邪ではなさそう、と

町医者➡少し大きな病院➡大学病院へと

検査のために、たくさんの病院へ通いました。

 

熱が引かないので、仕事も休まなくてはならず、

有給は使い果たし、欠勤になってしまいました。

それでも、薬を貰いに病院へ行く、検査のために、お金が出ていく。。

 

有休も使い果たしてしまった上に、欠勤だと

お給料も入らないのに、病院代は 出ていく!

熱は下がらず 痩せていく。

 

 

めちゃくちゃ 悪循環です。

 

 

やむなく退社、実家へ戻ることになりました。

また、就職活動の始まりです。。。

実家へ戻ってきて、しばらくは 体調の事もあり

お母さんのつくる ごはんを食べ 元気になれました。

が、ここで出てくる問題が、 また 何がやりたいのかもわからない状態での

就職活動です。

 

当時24歳。 職なし 実家暮らし。

 

こんなはずじゃなかった、

こんな風になるために、 留学したわけじゃなかったのに!!

 

こんなはずじゃなかった、

もっと、成田空港で バリバリ 働いていたかった!!

 

学生時代の友人は、結婚して 子供が出来る子も。

わたし、何しているんだろう。。。。

留学までして 得た今の結果 無職って 何しているんだろうと

散々 自分が嫌になりました。

 

これを思い返しても いま、涙が溢れる。

 

いつまでも落ち込んではいられないので、

次に 始めた 仕事が 航空会社の 予約案内センターの電話業務でした。

これなら、空港での知識も生かす事ができ、

また 大好きな航空会社で 働けるのが とてもうれしくて

楽しい日々を過ごしました。

入社1年目で 2回も お客様から サンキューレターを頂くほど、

接客は楽しかったのを覚えています。

 

そして、今の主人と出会い、結婚 妊娠、出産と

主婦&パートで仕事を少し、と言うように

いたって 普通の どこにでもいるような、ただの主婦でした。

結婚を機に、ABCクッキング教室に通い、

料理、パン、お菓子コース全て履修し、 作る楽しさを学びました。

家族の為に、なるべく 手作りで、、とは思うものの

子どもが小さいうちは、ご飯を作るのが精いっぱい、

趣味のお菓子作りや パン作りは、 たま~にやる程度。

なぜなら、子どもと一緒にお菓子作り、憧れるけど

汚されるのが嫌だったからです。

お菓子は、手軽に買える スーパーのスナック菓子。

甘いチョコレートやクッキー系のものと、

しょっぱいポテトチップや、おせんべい、

一日に、 甘い系としょっぱい系 どちらも食べていました。

ちなみに、

チョコは、きのこの山が大好きで 箱買い。(ダース買い)

そんな ある日

次女の顔に 湿疹ができ、 市販の薬を塗るも収まらず 皮膚科を受信し検査をすると

小麦アレルギーと たまご(生の白身のみ)アレルギー(疑レベル)と言われたのです。

 

今まで、私を含め 家族に 花粉症以外のアレルギーがあるものがおらず、

食事制限などはした事が無かったため、ショックを受けるとともに、どうやったら

これらとうまく付き合っていくかを考え いかに 普段 口にする物の大切さを痛感しました。

 

これまで、お菓子と言えば スナック菓子。

手作りは 好きで作るけれども、 食材を気にしたことはなく、白砂糖、バター、小麦粉、いかに安く済ませるかばかりにとらわれていました。

 

パンを作るときは強力粉などをふんだんに使用していたものを 見直すことにしました。

 

そんな時、甘いお菓子を諦めるのではなく、身体に良いお菓子はないかと探していた所

ロースイーツに出会い、初めて食べるスイーツのおいしさに衝撃を受け、まだまだ知られていないこのスイーツを広めていきたいと思うようになったのがきっかけです。

 

娘のアレルギーは、それ以来 酷くもならず

定期的に 病院へ行くと

『お母さんが食べる物をしっかり管理しているから お子さんのアレルギーが悪化するどころが、数値がなくなっているね!』とお褒めの言葉を頂き

さらに、自信がつきました。

 

やっぱり、身体って 食べる物から出来ているんだな、

なんでも、お腹にたまればいいのではなく、

いかに、その時に必要な栄養を 美味しく頂くことが重要なのかが、分かりました。

私の発信で、少しでもアレルギーがあり悩んでいる方や

アレルギーがなくても、 無理な食事、偏った食べ方をすると 身体に悪いんだと

気づいてもらえてら 嬉しいなと思って、

ロースイーツ・ローチョコレート教室を運営するとともに 発信しているところです。

【リクルート インタビュー記事掲載】

↓ぜひ お読みください♪